「何のために挨拶をしているの?」
子供に問かけられたら、あなたはなんと答えますか?
考えてみる価値は十分にあると思いますよ。
「何のために挨拶をしているのか」
大きく分けると3つに分けられると思います。
《1》決まり、義務、習慣
① 会社の決まりだから
② 上司がうるさいから
③ 社会常識
④ マニュアルにあるから
⑤ 朝だから
《2》自分のため
① その人に好かれたいから
② 信頼されたいから
③ その人に元気をもらいたいから
④ 気持ちが良いから
⑤ 気合が入るから
《3》相手のため
① エネルギーを与えたいから
② 元気を与えたいから
③ 好意を伝えて相手の心を暖めたいから
《1》《2》《3》の混じっている場合もあるでしょう。いかがでしょうか?
さて、あなたは普段、どの理由で挨拶をしていることが多いですか?
ここで知っておかなくてはいけないことは、それぞれのポジションごとにあなたの本音はしっかりと相手に伝っているということです。
下記の「 」の中のような本音が実は伝わっているのです。
《1》決まり、義務、習慣
① 会社の決まりだから 「頑張ってます」「やることやってます」
② 上司がうるさいから 「これでいいんでしょう」
③ 社会常識 「私は、良識のある人です」「私は正しい」
④ マニュアルにあるから「がんばってます」
⑤ 朝だから 「・・・・・」
《2》自分のため
① その人に好かれたいから 「好きになってください」
② 信頼されたいから 「信頼してください」
③ その人に元気をもらいたいから 「元気をください」
④ 気持ちが良いから 「やるぞ!(やる気の見せびらかし)」
3》相手のため
① エネルギーを与えたいから 「好きです。愛しています。」
② 元気を与えたいから 「今日もともにがんばろうね」「いい一日になるように」「ありがとう」
③ 好意を伝えて相手の心を暖めたいから 「あなたのそばにいますよ」「あなたに関心がありますよ」「あなたの味方ですよ」
確実に伝わっています‼
従業員さん達の「おはようございます」を毎日聞きますが、私から見ると、どのポジションから来ているのかすぐわかります。
相手のための挨拶をし、「 」の言葉が伝われば、周りの大切な人が暖かい気持ちになり、幸せを感じ、元気になるのは想像できますね。そしたら嬉しいですよね。さらには、その人がエネルギーをもらうことで元気になり別の人にエネルギーを送る。このように幸せや元気が次々と連鎖して広がっていくことを想像すれば挨拶はとても「ステキですよね。実は、私たちの幸せな気分はこういう意識を持った何割かの人たちに支えられているかもしれないのです。
あなたが意識して、人々の幸せや元気の源になりたくありませんか?
特にお勧めは、まずは日頃お世話になっている人達のための源になることです
家族、職場の仲間、友人です。
ちなみに《1》《2》でやっている人の特徴
- 小さい頃、親から怒られるので挨拶をしかたなくし、「いい子」といわれるが、反抗期以降、家庭で挨拶をはしません
- 逆に自分が親の立場になるとやたら怒って子供に挨拶を強要します
- かかってきた電話にでるときは声のトーンが暗くても、相手が誰だかわかると、とたんに明るい声に変わります
- 好きな人にはするけど、嫌いな人にはしません
- 相手が挨拶しないと自分もしません
- 挨拶のとき笑顔がありません
- 挨拶の声が小さい
- 挨拶のとき視線を合わせません
あなたは該当していませんか
《3》でやっている人の特徴
- 家族にしっかり挨拶します
- 笑顔で挨拶します
- 視線を合わせて挨拶します
- 自分のほうから挨拶します
- 小さな子供に挨拶の強要はしません
- 幸せそうです
さて
あなたはどの言葉を伝えたいです
あなたはどの言葉を聞きたいですか
挨拶にまつわるエピソードを二つ紹介します。
子供達が小さいころ一緒に大分の九重山に登ぼりました。高校時代、山岳部だった私は登山口で子供たちに「登山者とすれ違うときは挨拶をするのがルールだよ」と伝えようと思いましたが、その瞬間「いやルールとして伝えたくはない。《3》の理由を伝えよう」と思いました。そこでこういう風に話しました。
さっき、おじちゃんに「こんにちは」って言われたけど、うれしかった?すると子供たち「うん」。そしたら二人が今からすれ違う人に元気に挨拶すると、その人もうれしいよね。「うん」。そうすると、その人が次にすれ違う人にまた元気な挨拶するかもしれんね。そんなふうにうれしさが次の人、次の人へと伝わっていって、山にいる人みんながうれしく、元気になったらいいよね。「うん」
二人とも素直に理解して、すれ違う人一人ひとりに精一杯大きな声で登りも下りもとても元気に楽しそうに挨拶をしながら登って行ったのでした。
子供は素直でした。
不登校、ひきこもりで親とは口もきいてくれない中学生の男の子をお持ちのお父さんが思いあまってカウンセラーでもある教会の牧師さんに相談に行かれたそうです。すると、牧師さんはいろいろ話をうかがった後「お子さんに毎日挨拶をされてみてはいかがですか。」とい提案されたそうです。「でも、挨拶してもまったく返事しないんですよ。」 「それでもだまされたと思ってしばらくつづけてみませんか。ただしこんなにしてるのにという気持ちは捨てて、ただただ息子さんの心を暖めることだけを意識してなさってください。」
お父さんは意を決して毎朝毎晩続けられました。すると三ヶ月くらいたったある日、子供さんが挨拶を返してくれたのです。更に続けるとだんだん会話もできるようになりついには六ヶ月後には学校に行くようになったそうです。
挨拶の力はどうも凄そうですね。挨拶の習慣が、かなり人生に影響しそうですよね。
ただ、だからと言って、決して、聖人君主のように生きなさいと言いたいわけではありません。
見返りなしの挨拶ができる人は確かにすばらしいのですが、見返りを求めるなと言っているのではありません。相手のために挨拶するということは、相手のためのように見えて実は自分のためになるからお勧めなのです。「見返り」結構なのです。
ただ、「見返り」が返ってくるまでの期間を少し気長に待てるようになって欲しいのです。
嫌な人や、どうでもいい人には挨拶する気になかなかならないという人がいらっしゃいます。しても意味ない、損した気分になる、負けた気分になる。そのような人は自分以外の人に何かをしてあげた時、その相手からすぐに、見返りが返ってこないとだめなのです。すぐ見返りがないと損した気分になり、ガッカリしたり、ムカついたりします。そして、「二度と何かしてあげるものか」と見切りをつけます。見返りを心安らかに待てる期間が短いのです。
そんな人は、考えてみて欲しい!
時間はかかっても、いつかは必ず自分の為になると信じて生きていらっしゃる人は、実は沢山いらっしゃるみたいですよ。参考にしてみませんか。
そういう人達はどんなふうに考えていらっしゃるのでしょう?
次のうちのどれかではあるようです。
一、人は愛しつづけられると必ずいつか愛し返してくれる
と信じている人
二、宇宙の法則があって、他の人に与えた分はお金、地位、名誉、愛情、幸せなどで、必ず生きている内に 自分に戻ってくる
と信じている人
三、他の人に与えておくと、たとえ生きている内には何も得なことは無くても、死後、極楽や天国にいけると信じている
四、人の為に生きる自分が好きで、好きな生き方を自分の人生に提供しているだけの人
- 全人類は、自分と一体だと信じている人(心理学者アドラーは著書「嫌われる勇気」の中で、このことを共同体感覚と呼んでいる)
一~三の人たちは、「いつか必ず見返りがくる」と信じて人に与えていらっしゃいます。すぐに見返りがなくても平気なのです。いらつきません。幸せを貯金していっている感覚なので貯めるのも楽しいし、余裕があります。四、五の人は人の為のように見えて実は直接自分の為なので、見返りなくても全然、惜しくないですよね。
どの考えが本当かはどうかを議論する気はありません。
ただ、どの考えを信じて生きている人がより幸せそうに感じますか?
ぜひ、想像してみてください!
私はどう考えても、見返りを心安らかに待てる期間が長い人が
幸せそうに感じます。
あなたはどう感じますか?
だから、出し惜しみせず相手の為の挨拶をしましょうよ習慣付けましょうよ。あなたの挨拶の習慣はあなたの宝になりますよ。それだけで人生は変わると思います。
ちなみに、聖書の中には次のような言葉があります。
「自分がしてもらいたいように人にもそのようにしなさい」
豊かな人生に乾杯!
*ちなみに、上司と部下が出会いました。どちらが先に挨拶するべきでしょう?
答え:気付いた方からです。