「金歯の話」
中年の男性が来院されて、「とても痛い歯あるからどうにかしてくれ。」とおっしゃいました。口腔内診査とレントゲン診査の結果、誰が考えても抜歯という処置がベストと思えるような状態です。
そこで、先生が「残念ながら抜かなければいけませんね。」と確信を持って告げたとたん、、憮然とした表情で「抜きたくないです。」と返事が返ってきたのです。予想外です。
さあ、そんなときあなたが歯医者ならどう対応しますか?
A先生は自分の治療方針が否定された、B先生はうまく伝わらなかった、と感じ、あの手この手で説得しようとします。時には不機嫌さをあらわにして。
その結果、先生の必死の説得に患者様は「じゃ、いいです。抜いてください。」と決断することになるわけです。
ところが、その患者様は帰ってから周りの人にどういう風に言われると思いますか?
「あそこの歯医者で歯を抜かれた!」
ほぼ間違いなくこう言われると思います。
A先生やB先生は歯の治療には関心があるけれど、患者様の心には関心がないのかもしれません。たとえその時どんなに優しい笑顔で説明されている先生でも実は患者様の心にはあまり関心がないようです。
一方、心あるC先生は、まずエコー(カウンセリング用語で「繰り返し」の意味)されます。
「抜きたくないんですね。」
これです。これがとても大事なんです。この言葉をおかけすると、患者様は随分ホッとされます。
この「抜きたくないんだ」という言葉をたとえ口には出さなくても、自分の心の中で「抜きたくないんだ」とエコーした先生だけが相手の心に思いが向き、相手の立場に立てるのです。
すると、次の言葉が自然と浮かびます。
「何故なんだろう?」
「斎藤さん、どうして抜きたくないのか、よかったらお聞かせ願えませんか。」
すると患者様は、少し間を置き視線を静かに上げ、話しだされました。
「その歯に少し金がつめてあるでしょう・・。私の母は小学生の時亡くなったんですが、亡くなるちょっと前に貧しかったにもかかわらず僕の歯ために無理してその金を入れてくれたんです。だから、その歯は大事にしたいんです。」
ね、こんな大事な話を聞かずに、歯を抜いたA・B先生は大変なことをした事になるでしょう。
C先生は自分と違った意見をもつ相手を受け入れる力があったので、このお母さんに纏(まつ)わる話を聞きだすことが出来ました。
さて、この後の対応はどうしますか。
「それでは抜かないことにしてお薬だけを出しましょうね。」
と言うのでしょうか。
これは一見優しい対応に見えますが、全然親身になっていません、責任放棄です。
その時、C先生は、こう言いいました。
「お気持ちはよく分かりましたし、もちろん抜かないなら抜かないで構いませんが、僕にちょっと考えがありますので聞いていただけませんか。」
「なんでしょうか。」
「このまま、この歯を放置しておくとやはりひどい目に遭う可能性があります。それで、たとえばですよ。この歯は抜いたとします。その後、その金を取り出し、溶かして他の金属を少しまぜて山下さんの別の歯に埋め込むということができるんですが、いかがですか。」
どうですか。あなたはどう感じましたか。
斎藤さんは、おっしゃいました。
「えっ、そんなことができるんですか・・・それだったらよろしくお願いします。」
肩の力が抜けて、安堵にあふれる顔になられました。
どうでしょう。
山下さんは、帰って「抜いていただいた。」と言われるのではないでしょうか。格段の差ですね。